NEWS NO.32(2014年度)
中村千秋特任教授が「国際理解」の授業で講義
6月26日(木)の「国際理解」の授業で、本学の中村千秋特任教授による「3つの国際『誤解』の探求」と題した講義が行われました。中村特任教授は1989年からケニヤで野生のアフリカゾウと地域住民の共存のために活動し、現在は自ら母体を設立したNPO法人「サラマンドフの会」の代表を務めています。これまでの国際経験から感じた、3つの国際「誤解」について講義をしました。
●誤解その1 大型野生動物
「野生動物というのは、家畜やペットとは違って人間の都合で作られた動物ではありません。その中でも大型野生動物は、どの時代においても生態系に重要な役割を果たしてきました。
陸上の大型野生動物とは、体重がおよそ1,000kg以上のものです。その中でもアフリカゾウは、オスでは5,500~6,000kgに達します。海洋ではマッコウクジラが約18トン、シロナガスクジラは約120トンです。どちらも陸上や海洋を長距離移動し、多様な食物を摂取し排泄することによって、地球の生態系の循環と維持に大きく寄与しています。
しかし、人間と共存しなければならない時代を迎え、個体数が激減し、絶滅の危機にさらされています。アフリカゾウは象牙を狙った密猟によって、クジラは鯨肉を利用するための捕鯨によってです。アフリカゾウの保護が世界的に提唱され、1989年にワシントン条約によって象牙の国際取引が禁止されました。しかし、1997年には特定の国に輸出が認められるようになり、残念ながらその国の一つは日本でした。現在は密猟の取り締まりが厳しくなっていますが、そのために象牙の希少価値が増し、ブラックマーケットに流れています。
クジラについては、日本は科学調査の名目で捕鯨を続けています。今年、国際司法裁判所は、南極海で行っている調査捕鯨は科学的ではないとし、中止を命じる判決を言い渡しました。しかし、日本政府は、4月~6月にミンククジラの調査捕鯨を実施して世界にアピールしました。
鯨肉を食べるのは日本の伝統的な食文化だと言われます。しかし、実際には、鯨肉が普及したのは、第2次世界大戦後の食糧難の時期でした。1950年代には食肉全体の30%を占めていましたが、1970年代には5%まで減少しました。これで果たして伝統食と言えるでしょうか」。
●誤解その2 自文化中心で良いか?
「自己中心とは、自分自身を物事の中心と定義して、世の中を解釈する考え方です。それでは自文化中心とは何かというと、自分の所属する集団、民族、人種などの文化を中心に置き、それを基準に他の文化を否定的に判断したり、低く評価する態度や主張です。
『白人性』という研究テーマがあります。白人を世界の中心とし、非白人を蔑視する考え方です。それと同じように、『日本人性』もあります。例えば、『ガイジンさん、日本語上手ですね』という何気ない言葉には、日本人と非日本人を区別する思想が現れています。これはどの民族、集団、グループにもあるものです。
自分は何人なんだろうと考えたとき、例えば私は、3分の1は日本人、3分の1はアフリカ人、3分の1は地球人だと思っています。3等分でなくても5等分でもいいのですが、そういう考え方を自分の中に持つと、自分の文化にないものを排除するという誤解がなくなってきます。相手の文化や価値観を尊重し、その観点に近づいて理解しようとすれば、国際的な誤解は解けると思います。象牙問題や捕鯨問題の解決には、そういう視点が必要です」。
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●誤解その3 開発は誰のためか?
「開発はすばらしいものであるというのが一般的な考え方ですが、これが国際的な誤解を生んでいると思います。
ケニヤでも開発指向は強く、外国資本を取り入れて道路や鉄道などのインフラ整備を進めるのは良いことだと考えられていますし、原子力発電の計画もあります。経済的に貧しい人々を救うためには、自然保護よりも地域を開発しなければならないという誤解が生じています。しかし、近代化、開発とは誰のためかというと、それは必ずしも地域住民のためにはなっていません。
近代化と言っても、そこに色々な要素がありますが、中心と非中心を作り、弱いもの、小さいものを排除していくという傾向は、近代化が進む中で見られるものです。そこには、自然や野生動物を制圧することも含まれます。
誰のための開発なのか、何のための開発なのかと考えると、地域住民のためではなく、誰かが何かを得るために目的のすり替えをしている、そういうところに目を向けて欲しいと思います」。
●国際「誤解」から地球「理解」へ
「誤解から理解へと進むためには、メディアを批判的に見る視点が必要です。インターネットなどの膨大な情報を鵜呑みにせず、適切に選択できる力を養うために、日々勉強してください」。
「国際理解」の授業を担当する森川純特任教授は、最後に「学問とは、客観的事実の究明、言いかえれば、本当のところはどうなんだろう、 チェックしていこう、そういう志とバランスの取れた柔軟な思考を持っていただきたいと思います。毎回の授業後の皆さんの書いた小エッセーを読む度に、そういう姿勢が見られてとても頼もしく感じています。色々な見方、考え方を知ってください」と話しました。